この姿で生き残れるならダーウインの進化論は間違い
クリスマスで時間が余ったので、TVJAPANで「陸王」を見た。
池井戸氏のドラマは確かにおもしろい。
日本では圧倒的存在の銀行を悪者に描き、
弱者の心を掴んでいる。
ただ以前に見た「ルーズベルト」云々も然り、
原作を読んでいないので脚本家の仕事かもしれないが、
この人のドラマは肝となる比喩に違和感。
「陸王」では、ネアンデルタール人が滅び、
ホモサピエンスが生きの残ったのは、
理想的な走り方を学んだ後者が、長距離を走れるようになり、
獲物を捕れたからという解説だった。
まさにランニングシューズのドラマのナラテイブ。
この点についての科学的定説の中で、
個人的に最も納得できるのは、体力的に優れた前者は孤立を好み、
体力が劣る後者は、社会を構築したという説。
腕力に優れても孤立しては最後は死滅する。
ただ生き残ったホモサピエンスも集団社会で喧嘩を始めた。
そのピークが第二次世界大戦だったとして、
そのあとの冷戦に勝利した米国が、
グローバリゼーションで穏健に世界を支配しようとしたのは、
ネアンデルタールに勝利したホモサピエンスの
最終完成形への挑戦だったかもしれない。
ところが、トランプ政権は、
冷戦時代までの仲間を痛めつけても、
自分の体力を増強し、あえて孤立する
ネアンデルタール人へ戻ろうとしている。
リベラルはトランプをクレージーとして決め付けるが、
トランプの戦略の本質は「陸王」のドラマ中に垣間見れた。
シリーズ中盤、陸王を履いたランナーが、一度トップに立った後、
あえて後方に下がるシーンがあった。
これがまさに今のトランプの戦略そのものだろう。
集団を従えトップを走り続ければアメリカとて疲弊する。
ブッシュがやったイラク戦争は総コストは5兆ドルだった。
バノンはこのままではアメリカはローマ帝国の二の舞となると考えた。
ならば一旦は集団の先頭を中国に譲っても、結果的にそれで中国が体力を消耗し、
中国の限界を悟った集団がバラけるころ、満を持して再び先頭に立つ。
無理をした中国は脱落するかもしれない。
ただ集団を引っ張ったアメリカが後方に下がると二番手集団は戸惑う。
アメリカは覇権の利益を捨てたわけではないが、
戦後、負担してきた政治コスト(ノブレスオブリジー)に
トランプたちビジネスマンは価値を感じない。
更に言えば、リベラルに己の限界を悟らせる効果がある。
リベラル勢力の中心のミレニアル世代は冷戦終了後しかしらない。
緩やかな秩序の中、自分本位の自由は生まれながらの権利。
こういう世界では国家の存在に感謝する機会は減る。
ならリベラル勢に思いのままリベラルをやらせてみるのもいい。
誰にも脅かされない自分本位の自由世界がこの世に存在できるかどうか。
草食動物だけでは草食動物は死滅する保守派の原則。(トランプ本人はこの限りではない)
いずれにしても、現実社会のマラソンドラマは、
道具(シューズ)改良や人間の努力より、
マネーの量というオピオイド効果で持続している状態。
最早薬なしで人類はどこまで走れるかわからない。