ゴゴジャンTakizawa レター

ゴゴジャンTakizawa レター
ビックピクチャーとマーケットのメカニズムは車の両輪

2018年9月17日月曜日

デイオブレコン最終号 金融危機から10年目の考察

リーマンの名前を知っている人も、知らない人も、
多くの人に衝撃だったリーマンブラザースの破綻。
ただ混乱の中心的役割を果たした関係者で、
米国政府の救済で生き残った人には、
結果的にリーマンは”ショック”ではなく、”プレゼント”になった。

そこから10年。
今だ苦境から抜け出せない人と恩恵を受けた人。
この混在がトランプ大統領やバーニーサンダース躍進の現象を生み出した。
ならトランプに二期目がやってくる。(二期目のトランプはセオドア・ルーズベルトになると予想)
あるいはサンダースの申し子がアメリカを変えていくなら、
リーマン崩壊の歴史的意味はその時にこそ判る。

ではこの金融危機の根源は何だったのか。
10年経っても当事者からはさしたる逮捕者は出ていない。
ならば小悪を罰する法律では、全体像は見えないということだろう。
個人的には冷戦勝利を達成したグレートジェネレーションが、
彼らの子供の世代のべービーブーマーに残した試練だったと考えている。
つまり人間の善悪や個人の判断ミスを超えて、
単独覇権国家になった米国の宿命だったということ。
以下はその成熟過程を考察したモノ。

< グラス・スティーガル廃止まで >

グラス・スティーガル法は、1929年の株式大暴落後、
共和党時代のバブルの原因とされた銀行・証券の融合を、
民主党のルーズベルト政権が切り離すための法案だった。(カーターダグラス主導)

その前の1920年代の共和党主導の狂乱バブル。
リベラル化への幕開けを主導した民主党のウイルソン政権が終わり、
彼が主導し一旦は世界大戦も終わり、1914年に出来た中央銀行が(FED)
戦争支援から民間需要喚起へ舵を切る中で生まれたものだ(国債オペレーションの始まり)

今ビジネス優先のトランプの登場で、
この時の共和党ユーフォリアの再現を期待する今の共和党関係者。
(ハーデイング、クーリッジ フーバーまで共和党政権の継続)
リーマン後、世界の中央銀行が禁じ手だった量的金融緩和を一斉に始めたことは、
100年前のFEDの進化のパターンに似ているともいえる。

いずれにしても、前回の危機から70年間、
グラス・スティーガル法はアメリカでは厳格に守られてきた。
結果、多少のアップダウンはあったものの、
世の中を変えてしまうような金融危機は起こらなかった。

ところが、冷戦終了後、クリントン政権のグローバリゼーションと、(NAFTA)
そのドル高政策によって世界のマネーが米国へ還流しはじめた。(ルービンのドル高宣言)
94年から長期の上昇波動に入ったは米国の株式市場はその象徴である。

この時、個人的にもバブルが崩壊した日本を出て、
米国での駐在員生活が始まった。
当時、自分にも、今よりは平等に経済成長の恩恵が、
一般のアメリカ人に浸透するのが見えた。
その一方で、戦後生まれのビルクリントン的な社会規範への甘さは、
アメリカの社会に広まっていった。(ソプラノス的な寛容さ)

この時、主戦場の米国金融市場に殴り込みをかけてきたのが、
欧州の雄として銀証分離をしていなかったユニバーサルバンキングのドイツ銀行だった。
余談だが、1930年代、米国でグラス・スティーガルが導入され、
欧州でも銀証分離が始まるなかで、ドイツ銀行は銀証分離をしなかった歴史がある。

背景は、ヒトラーの台頭を警戒した隣国がドイツ国債の購入を拒否する中、
ドイツ銀行はユニバーサル機能を維持し国債を引き受け、
ドイツの富国強兵を助ける必要があったとされる。

この過去と今のドイツ銀行の困窮は無関係ではないと感じるが、
冷戦終了後のドイツ銀行の米国市場への進出に対抗したのが、
Citiグループを創設した剛腕のサンデイワイル会長だった。

合併を繰り返し、大手証券・保険グループのトラベラーズを作り上げたワイル会長。
総仕上げとして大手銀行の一角だったCITIバンクのとの合併を画策。
まだグラス・スティーガルが有効だった時に、
堂々とCITIバンクとの合併を発表した。

この時ワイル会長は、
このままでは米国の証券会社は欧州や日本の金融機関に買われてしまう。
早急にグラス・スティーガル法を廃止し、
米国に銀行証券機能を併せ持つ巨大金融機関をつくる必要があると議会に訴えた。

直ぐに議会は動いた。
それにFRB議長のグリーンスパンがお墨付きを与え、
退任直前のクリントン大統領がサインした。
こうして1999年、グラス・スティーガル法は廃止された。

< レバレッジ規制崩壊からAIG破綻へ >

また余談になるが、
日本で山一倒産などを経てメガバンク体制が生まれ、
そのメガバンクが堂々と証券業に進出してきたのは、
この時の米国の業界再編、規制緩和と無関係ではないはず。
更に、個人的にも、この米国の変革を比較的身近で眺めるユニークな環境にいた。

もう時効だと思うのでその時の逸話を紹介する。
当時日興証券とトラベラーズとの業務提携の準備委員を日興NY本社でやっていた。
山一の破綻を受け、日興証券も米大手のトラベラーズとの業務提携を模索。
そんな中でトラベラーズがCITIバンクと合併とのニュースが突然飛び込んできた。
この一報が当時の日興証券の経営陣に衝撃を与えたことはよく覚えている。

日興の経営陣は、業務提携先が米国の証券保険のトラベラーズなら縁の深い三菱グループ、
特に東京三菱銀行を怒らせることはないと考えていたようだ。
しかし合併先がCITIバンクとなれば話は異なる。
交渉の席で合併担当役員が、グラス・スティーガル法との関係を切りだしたところ、
トラベラーズ側は激怒し、「君たちには関係ない」と恫喝されたという情報が入った。

トラベラーズの資金をあてにしていた経営陣。
提携破断を恐れた本部から、これ以後トラベラーズ側関係者と接触する際は、
一切”CITI”という言葉を発してはいけないとの命令が来た。
それだけトラベラーズにとっても、
グラス・ステイーガルを無視したCITIとの合併は大仕事だったのである。

そんな中、グラス・スティーガル廃止を警戒したのは、
インベストメントバンキングを生業とする米国の大手証券だった。
その時点で独立した大手証券は以下の五つ。

ゴールドマンサックス
モルガンスタンレー
リーマンブラザース
メリルリンチ
ベアスターン

元々はユダヤ系ならゴールドマンを目指し、
アングロサクソンならモルガンスタンレー。
アイリッシュはメリルリンチといった社風。
この頃はリーマンは債券全般に強く、
ベアスターンはモーゲージに強かった。

彼らは巨大な預金を持つ商業銀行のJPモルガン 、
CITIバンク、 バンクオブアメリカが
インベストメントバンクの領域に大量の資金で参入してくることを恐れた。
対抗処置としてレバレッジに対する規制撤廃を要求した。
つまり資本力で銀行に劣る証券は、
信用取引でもっと大きなポジションを張ろうとしたのである。

この時その先頭にたったのが、
ゴールドマン会長のポールソン氏とリーマン会長だったファルド氏。
大銀行の参入を前にともに戦った二人だが、
8年後の金融危機では、財務長官になっていたポールソン氏は、
現行法でリーマンを救済できるとしたバーナンキ議長の主張を退け、
ファルド氏とリーマンに引導を突きつけた。

ではなぜポールソン氏はリーマンを救わなかったのか。
ここからは100%個人的な見解だが、
あの時にリーマンが倒れないと、AIGが救済されなかった可能性がある。
リーマンより先にAIGが破綻すると、
CDSなどのポジションでゴールドマンにはAIGが払うはずの保険金が入らず、
結果、ゴールドマンさえも共倒れになる可能性があった。

だから、誰かが、どこかで、その前に犠牲になる必要があったはずだ。
だとすればだれを犠牲にするか。その衝撃は、大き過ぎず、小さすぎず、、。
90年代、日本でも長信銀の終わり方で、
長銀・日債銀と興銀の終わり方には政治判断で差があったと思う。

いずれにしても、リーマンが倒れたことで、
実体経済での 負の連鎖は、日頃米国の金融とは無関係の、
日本の製造業の真面目な人々にも波及していった。

QE後の世界。モーメント・オブ・トゥルースへ >

レバレッジ60倍まで拡大したリーマンが破綻した時点で、(自己資金の60倍の信用取引)
大手銀行のCITIとバンカメ(メリル)も、事実上破綻していた。
ではなぜ証券ではない銀行の彼らがそうなったか。

個人的な考察では、この時に救済されたAIGCITIとメリルリンチ(バンカメ)には、
2002年に遡るある共通点があり、そこにその答えがあると考えている。

リーマンショックの8年前、2000年からの株式大暴落。
一般的にはドッココムバブルの崩壊と言われる。
この下げの前半はハイテク銘柄へのオーバーバリュエーションの調整。
後半はWSのアナリストや大手会計会社など、金融エリートの不祥事が本質だった。

この時ウォール街に大ナタをふるったのが、
当時民主党の近未来のリーダーと目された
NY州司法長官のエリオットスパイザー氏。
スパイザー氏は後にトランプの友人で
トランプを悩ますロシア疑惑でも暗躍するロジャーストーン氏の罠で凋落するが、
(クライアント9のドキュメンタリー)

彼によってCITIのワイル会長、メリルのコマンスキー会長、
AIGのグリーンバーグ会長は、不祥事の責任を取らされ引退させられた。
(スパイザーは引退しなければ業務停止命令を出すと脅した)

2002年、この時自分自身もCITIのソロモンを退社するタイミングだったが、
この時の三社は、まさに今の日本のアマチュアボクシング、レスリング、
そして日大アメフトと体操協会のような状態だった事が想像できる。

辞任するつもりのなかったが中興の祖のような強権的会長が、
後任を準備しないままとつぜん辞めさせられるとどうなるか。
先のアジア大会で日本の女子レスリングは壊滅的に弱くなったように、
打算で選ばれた後任者は概ね失敗するものだ。

CITIグループでは、ワイル前会長の肝入りでCITIの企業弁護士だったプリンス氏が会長に就任した。
金融商品の専門家ではないプリンス氏は、部門のトップに大幅に権限を委託、
その部門のトップが野放図にサブプライムとCDSを増やした。(自分のラインのトップだった人)
メリルリンチも自動車のGM出身でアナリストだったオニール氏をトップに迎えた。

そして一番最後まで会長が決まらなかったAIGは、
混乱の中、米国本社は、ロンドンの拠点が、
巨額のCDSをアンダーライトしていく状況を見逃した。

こうして、ウォール街の殆どの大手金融機関はサブプライムに溺れていった。
ただもしあの時AIGが救済されなければ、
ゴールドマンも倒産を免れず、
そうなれば三菱が単独でモルガンスタンレーを助けられただろうか。

金融リスク管理の専門家のジムリカード氏は、
もしリーマンが倒れず、国家による救済プログラムが発動しなければ、
ウォール街の大手金融機関で生き残れたのはせいぜいJPモルガンだけだっただろうとしている。
(西海岸のウエルズファーゴなどは別として)

このリーマンの破綻から1週間後の921日、
FEDは、大手証券として生き残ったゴールドマンとモルガンスタンレーに銀行免許を与えた。
公的責任を負う銀行業でないと米国政府とて簡単には救済を発動できない。
生き残ったゴールドマンとモルガンスタンレーは晴れて銀行になった。

そしてオバマ政権になってから1年、
2009年に、リーマンが倒れる直前、財務長官だったポールソン氏が、
ブランクファインなど、自分の出身母体のゴールドマンの重役と、
モスクワで秘密会議を持っていたことが、
複数のリベラル誌よって暴露された。
https://www.cbsnews.com/news/when-paulson-met-goldman-from-russia-with-love/

この時の解説の中には、
この秘密会議で、ゴールドマンが銀行になるスキームが
事前に話されたとするものがあった。
真実はわからない。だが事実なら、
リーマンまで倒れるのは既定路線だったことになる。

では究極的にゴールドマンとリーマンの命運を分けたものは何か。
ゴールドマンサックスの別名はガバメントサックス。(クリントンから)
もちろんポールソン氏が財務長官になっていたことは絶対的だったが、
ゴールドマンではインベスメントバンク部門の出身者と、
市場(トレード)部門の出身者が交互にトップになるのは有名。

リーマンのファルド会長がリーマン一筋の債券マンだったのに対し、
インベストメントバンク部門出身のポールソン氏は、
ゴールドマンの前にニクソン政権で修業をした強者でもあった。

だがオバマ政権は、主要閣僚にゴールマン出身者を起用しなかった。
これはクリントンがルービン氏、
ブッシュがポールソン氏、
そしてトランプがゲーリーコーン氏を起用したのと対照的。

この人事からも、オバマ本人は金融危機の元凶のウォール街の大手金融に
本当に怒りを持っていたのは確かだろう。
しかしそのオバマも、これ以上悪者を追求すると株が下がる。
これ以上株が下がるとオバマ政権はカーター政権のように4年で終わるという、
クリントン政権関係者からの警告を受け入れた。

それが2009年の3月。金融に対する懲罰的トーンが消え、
前向きに変わったオバマのスピーチをきっかけに、
株はそこから今日まで続く長い上げ相場が始まった。
途中挫折しかかったのが欧州危機が顕著化した2010年の春。
この時バーナンキは、経済学者として長年したためてきたQE政策を満を持して発動した。

結果、株価は回復したが貧富の差は拡大。
オバマにチェンジを期待した若者は失望した。
その思いがバーニーサンダースへ移り、トランプ現象を生み出した。
そしてリーマンで金融機関が焼け太りをするのを目の当たりにし、
コンピュータに精通した若者の中には、
クリプトカレンシーの可能性に自分たちの未来を重ねる人が現れた。

そんな中、リーマンショックがから9年目の昨年、
JPモルガンのジェイミーダイモン会長と、
ゴールドマンのブランクファイン会長の自社株資産が日本円で1000億円を超えた。
同時期にビリオネーラーになったザッカーブルグ氏。
二人はザッカーブルグ氏のような起業家ではない。
また、バフェット氏やヘッジファンドの頭目のような特殊な運用能力を証明したわけでもない。
にもかかわらず、二人の自社株の個人資産膨張。
これは過去の資本主義のリスク・リターンの歴史と照らしても異常である。

この二人をビリオネーラーにしたのはずばりFED
FEDは当座預金への付与金利(IOER)として、
未だに米国の銀行に年間5兆円規模の利益を落としている。(この場合はFRBの判断)

まさにこれがリーマンショックならぬリーマンプレゼントの実態だが、
奇しくも、今夏はゴールドマンのブランクファイン会長が引退を表明し、
先週はJPモルガンのダイモン会長も、引退への準備過程に入ったこと表明した。

そんな中、先週までゴールドマンサックスの株は、
上場来初めてとなる11日連続で下落した。
こんなことはリーマンショックの時にもなかった。
リーマンショックで結果的に最大の恩恵があった会社にも何かが起こり始めている可能性。

最後に、2008年の金融危機の本当のメリットの享受者は別にいることを強調したい。
それは言うまでもなく中国。中国は米国の金融危機からいろんな手法を学んでいる。
これから始まる米中の覇権への最後の戦いは、

いずれ、新ブログ「ザ・モーメント・オブ トゥルース」として追って紹介したいと考えている。

2018年7月9日月曜日

経済と米中貿易戦争の二重構造




2018年6月6日水曜日

CIAが考える日本の敗因 (レター抜粋)

               チェスターニミッツ提督

ところで、米朝会議へ臨むトランプ政権のスタンスに対し、
一部の日本人には「裏切られた」という感覚があるという。
そこで、本日6月5日は、日本には極めて重要な記念日であることを指摘しておきたい。
76年前の6月5日、日本はミッドウエイ海戦でアメリカに大敗北を喫した。

日本は13世紀後半、鎌倉幕府が世界最強のモンゴルを博多で防ぎ、
明治維新後、日本海海戦でバルチック艦隊を打ち破り、
そしてアメリカを相手に、真珠湾の奇襲も成功した。
しかしこの輝かしい日本の神話は76年前の本日を持って終了した。 

ミッドウエイの戦い詳細は省く。
以下の日本語ウイキペデイアには、
異常なまでの戦いの詳細が書かれているが、
あまりにも詳細すぎて要点がはっきりしない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E6%B5%B7%E6%88%A6

だが今日に至るまで、日本は敗北の要因として
レーダー網や暗号解析の分析力など、
先端技術でアメリカに劣っていたという解説をしている。
しかし米国の分析はその本質面で違う。

CIAのレポートは、当時テクノロジーでは、
アメリカは日本より優位だったことは認めている。
しかしミッドウエイ海戦の勝敗の最大の要因は、
戦力の優劣ではなく、直言すれば、
予想以上に、「日本はバカ正直だった」という単純な見方。

https://www.cia.gov/library/center-for-the-study-of-intelligence/csi-publications/csi-studies/studies/vol50no2/html_files/Intelligence_War_2.htm

そもそもインテリジェンスは以下の3部からなっていると考える。

1)情報を収拾する力 
2)情報を分析する力 
3)情報を展開する力

当時の日本海軍は、1)と2)は重視した様子。
しかし大和魂の精神に合わない?3)において、
アメリカの仕掛けた罠を見抜けなかったという印象はぬぐえない。

真珠湾奇襲成功後、戦力で日本海軍に劣る状況になった米海軍では
山本五十六長官の次のターゲットが何処になるか、
インテリジェンスの限りを尽くして探った。(以下はCIAのレポートから)
ニミッツ提督は山本長官の次の作戦はオアフ島だと考えたという。
しかし確信に至らず、現在のNSAに当たるインテリジェンス機関
の"罠"の提言を受け入れた。

罠とは、ミッドウエイの海軍基地の生水が足りなくなり、
本部に向けて生水補給要請のSOSを暗号なしで発信すること、
もし日本が傍受すれば、米軍を待ち伏せするために
日本艦隊はミッドウエイにやってくる可能性がある。
米海軍は、待ち伏せするため早めにやってきた
日本艦隊を待ち伏せるという作戦。

連合艦隊は元々ミッドウエーをターゲットにしていたが
攻撃の日時など決定では、アメリカの罠に落ちたことは否めない。
アメリカ側の単純な結論は「待ち伏せ」の「待ち伏せ」は成功した。

そこから先の結果は、膨大な日本語版WIKIの執念の解説を信じるとしても
日本人としては受け入れがたいものだ。
だが加えて残念なのは、CIAの分析に、、
米国は、日本がこんな単純な罠に嵌るとは考えていなかったとの表記があること。
レポートは「なぜ日本は米国が本当の情報を英語のまま流すことに疑問をもたなかったのか」と
結んでいる。

個人的にはこのCIAの素朴な疑問に答えがある。
山本五十六長官はポーカーをなど賭け事を好んだという。
加えて、米国に駐在した二年間で米国を学んでいる。
個人的な答えはそこに罠までの芽があったという感覚。

これは現在にも通じる事実だが、数年アメリカに駐在しただけで、
自分はアメリカを知っていると考える日本人の錯覚。

さらにそもそも日本海軍は英国海軍から多くを学んでいる。
山本長官の日本が一年ぐらい頑張れば、戦争が嫌いで陽気なアメリカ人は、
適当なところで講和に乗ってくるとの分析は間違いだった。

そして長官自身の最後となる無謀な移動。
当時米軍にも上級将校をだまし討ちしないノブレス感があったという。
しかし山本長官機を待ち伏せし、撃墜したのはその例外となった。

以前ブログでアムンゼンとスコットの違いを書いたとき
アメリカのエリート大学でのアムンゼンの成功に関する資料の多さに驚いた。
一方英国将校としての矜持が裏目となり、
南極で死んだスコットに対する評価は殆どゼロだった。

トランプと金正恩の米朝会談がどう転ぼうとも、
アメリカの東アジアと世界での対中戦略での
想定的で客観的な利益判断は変わらないだろう。

<参考:犬を喰らう覚悟>




http://marukano-gb.blogspot.com/2013/02/blog-post_16.html